カラダノコエをキク

iga腎症と境界型糖尿病、卵巣嚢腫も再発、そして只今ハイリスク妊婦になりました。波乱万丈だけど、逆境に負けずハッピーライフを過ごしたい!カラダのコエをきいて、未知なる領域を広げていきたいです。

iga腎症発覚からの1ヶ月

前回、いきなりのiga腎症という病名を言われ、腎生検で診断名がつくとのこと。

これからの人生設計を考えてきなさい!との先生のアドバイスを受け、覚悟を決めた月世観です。




まずは情報収集です。いかんせん、難病なんてご縁もなくさっぱりわかりません。不安をうち消すには、情報収集しかありません。



ネットやブログ、本などあさりまくりました。

とりあえず、まずはじめにわかったのは自己免疫疾患であるということ。

簡単にいうと、自分のカラダがエラーを起こしてしまっているわけです。



現在確実な完治する治療法は確立されていないこと。ただし、寛解を目指す、有効な治療法があること。しかし、私が大嫌いなステロイド。病院によって、または医師によって治療方針がかなり異なること。

海外と日本でも治療法が異なること。

早期発見であればあるほど、寛解率があがること。腎臓という臓器は一度壊れてしまうと、再生しない臓器だということ。



つまり、このままの生活をしていたら腎臓が使い物にならなくなり、透析もしくは腎臓移植しか生き残る道はないということ。

ただ、進行度はいまの状態にもよるがゆっくりであること。自覚症状は殆どはじめはでないこと。



などなど。

ひぇー!!なんと謎の病気。これはカラダからのメッセージじゃないの!!

透析や移植を選択しなければ、余命宣告のようなものじゃないの。



わたしはとりあえず、ストレスが大敵だということでいままでよりスローペースで仕事をすることに切り替えました。

このへんはフリーランスの強みですね。

ただ、大変不規則な仕事なのです。

おまけにダンスなんてハードな負担をかけたらどうやら腎臓にはよくなさそうだし。おまけに貧血はひどいし。



これは転職も考えねばなりません。

困ったなぁ。

付き合いでの美食会もパスです。

とりあえず、食事は攻防戦に持ち込まねば。

真夜中から朝までの撮影もざらにあったので、仕事は容赦なく断ります。

生死がかかってくると、選択が案外スイスイいくもんだなと思いました。⇦楽観的?!




仕事がなくなることよりも、このいまのカラダたちのメッセージをよみとらなきゃと思ったんです。


だって、対処療法で一時的によくなったとしても病気の根元から治さないと再発する可能性が高いということでしょ。



それは卵巣嚢腫でも体験済みでした。

2012年に突如卵巣嚢腫が発見され、手術でとりました。その後体調は最悪でした。しばらくはカラダに優しく暮らしていましたけど、良くなるとまた段々とハードになっていきます。

辛いときのことなど、だんだん薄れていきました。



そして、1年後には再発しました。

ショックを受けた私は、もう2度と手術をしたくないという想いで徹底した食事療法と生活改善を行い、4ヶ月ほどで、嚢腫が消えることに成功しました。大学病院の先生もびっくりです。

奇形腫は通常消えないと言われているのが定説だそうです。でも、わたしには確信がありました。卵巣嚢腫もカラダのエラーなんです。

卵巣で勝手に細胞が骨や髪や人間の組織をつくっていってしまうんです。



体が求めていることをちゃんとすれば治るはず。手術には頼らない。一度切ってるから余計にそう思いました。根本をかえなければ。



そして、無事消失したのにもかかわらず、懲りないわたしはまたもやハードライフを送り、再発したのです。これは11月のことでした。

体質と言ってしまえば簡単です。でも、消失するということはなにかカラダが訴えかけているのに違いないとおもうんです。


そして11月のメッセージも無視して、わたしはハードワークをこなしていました。仕事や予定がぎっしりの生活を送っていたのです。

端から見れば、華やかにみえたかもしれません。けれど確実に私のカラダはエラーをおこしていきました。


そして、このiga腎症。

わたしはこの病気を指摘されてから、まず思ったのは


「いまのままではまずい。いまの生活スタイルも仕事も、自分の在り方も全て変えなければこの病気は治らない。きっと手術や治療をしたところで再発だってしかねない。根本を変える大きなチャンスがきたんだ!」


と思いました。ストンと腑に落ちたんです。


アメリカ行きをキャンセルし、わたしは徹底的にカラダと向き合う覚悟をしました。全てが変化しても構わない。チャンスはいまだ。



できることはすべてやってみよう。

後悔のないように。そして、日々を大切に。

どんな状況になっても笑いを忘れずに、きっとなるようになる!!わたしはわたしのからだを信じる!そう誓ったのでした。

自己紹介とiga腎症発覚の経緯まで

こんにちは、月世観(つきよみ)です。

私の自己紹介をしたいと病気になった経緯を記しておこうとおもいます。



東京に住む30代の女性です。

仕事はダンサーと美容業をメインにしていました。フリーランスなので、自由業ですがなかなかハードな日々でした。



現在は、ルームメイトと犬と一緒に住んでいます。いままでの人生はなかなか波乱万丈でしたが、昔から不思議な出来事によく遭遇しました。



カラダは決して強い方ではありませんでした。

子供のころから、肺炎や喘息もありましたし、雨が降っても熱がでるほど。運動会やイベントの前も必ず高熱がでてしまう敏感な感受性でした。アレルギーも通年鼻炎、特に猫アレルギーがひどく、扁桃腺もよく腫れました。




おまけに怪しい?!不思議現象に子供のころからよく合いまして、20代前半は特に壮絶でした。何度も死にかけましたが、ギリギリのところでいつも助けられていました。悪運は最強に強いです。



2015年の3月から5月に精神的に大打撃をうける出来事があり、一度そこで自律神経失調症になりました。不眠や食事も食べられない、悲しみの時期を過ごしました。ストレス値でいえばMAXだったとおもいます。徐々に回復をしていき、7月頃からアクティブに舞台や美容業などもこなし、国内外と飛び歩いていました。



2016年11月のNYに渡米した帰りに、熱が出てそこから1ヶ月間、謎の微熱と膀胱炎で仕事ができなくなります。病院にいっても、原因不明でした。このときの膀胱炎で潜血反応が+2でした。先生は女性は生理があるのでよくあることどと言われました。それに加えて、咳がとまらず、気管支炎がつづいていました。



その後また徐々に回復するも、なんとなくだるい日々でした。1月にインフルエンザになり、濃いオシッコがでました。気管支炎は相変わらずで、タバコの煙や薬剤の匂いをかぐとむせて咳が止まらない、あとは明け方に咳で眠れないなど続きました。身体はそれなりに元気でダンスもめいいっぱい行っていました。



2017年3月、あまりに咳だけとれないので呼吸器専門科にかかります。様々な検査を経て、アレルギーが原因とのこと。

ℹ︎gEが上限の2倍以上の数値をだしていました。

1月末から飼いだした犬のせいだろうと言われます。でも、わたしはピンときませんでした。

なにしろ、この咳は11月から続いているんですから、犬だけのせいではないはず。

それに喉の奥地にいつも違和感があったのです。そして、このときそれよりも貧血がひどすぎるから鉄剤の処方を受けます。

いままで貧血なんて思ったことがなかったため、貧血の精密検査を受け、鉄欠乏性貧血と診断されます。


確かにいつも5.6時間踊れるのが最近2.3時間で息切れしていました。ターン(回転)も目が回ることが多かったので、鉄剤をのみはじめました。


2017年4月、食事は比較的健康食を食べていましたがヘルペスが唇にできました。疲れてるのかしら?と皮膚科へ行こうと思いますがちょうど思い立った日が定休日でした。仕方がないので内科にいき、ヘルペスの薬を処方してもらいます。


そのときふと、検尿検査してみよう!と思ったのです。なんでだかはわかりません。このときは直感的でした。先生が「え?!なんで?」と言いますが、11月くらいに検尿検査で潜血+2と言われたのが気になってまして、一応、、、と答えました。

「そうなんだ、まあ簡単にできるからいいよ。」


その結果、潜血+4 タンパク+3 という数値がでました。先生が「え?!これはおかしいね。ここでももっと調べられるけど、どうする?」とのこと。なんとなく、やっぱりとおもって「大きい病院で精密検査受けたいので紹介状お願いします」とお答えしました。


わたしのようにフリーランスで仕事をしているとなかなか人間ドックでも自分でいかないかぎり検査なんて無縁です。このときはここらで覚悟決めてやっておくかー!くらいのノリでした。


その後すぐ精密検査を受けました。検尿や採血や超音波、レントゲン、、、。いや、慣れない空気感。

5月に舞台があったのでかわらずダンスをしていました。検査の結果、女性の主治医がせかせかときいてきます。

「あなた、パートナーは?出産は?」

私はヘラヘラしながら

「一応いますけど、出産もできればしたいんですけどー、検査どこか悪いんですか?!」


この緊張のなさ、こんなに元気なんだからまあ、あってもちょっとした膀胱炎とか?!くらいに考えていました。

先生は真剣な顔でいいます。


「あのね、難病のiga腎症かもしれない。

今後の人生のことちゃんと考えなきゃだめよ。治療は出産を考えているのなら、早い方がいい。」


面食らいました。えー?!なんですって。

難病?!私とは無縁だと勝手に思っていた!!

そんなにやばいの?!という動揺感。



「来月アメリカに行く予定なんですけど、、、」



「じゃあ、1ヶ月猶予を与えるからパートナーや仕事のこと整理してきてちょうだいね。とりあえず腎生検はやったほうがいいとおもう。」



先生は淡々と流れを説明し、この先の治療法をざっと伝えてくれます。

私はとりあえず、ハイとだけ答えて、ドヨーンとうなだれながら病院を去りました。



ああ、これからどうしよう、、、。ってか、5月の舞台も6月のリハもアメリカも。

ハァァァでした。

しかも謎のiga腎症ってなんなの?!落ち込みと未来がまったくの白紙な状態で、ただただ呆然としました。



とりあえずそこから私の人生大転換が起こりました。


続く、、、