難病だけど? 他人は他人。自分のことを諦めるな。
私はストレスを非常に感じやすいタイプだ。
気温の変化でも、体調が悪くなりやすいし、
仕事の面でも、社会不適合者だと思う。
昔は納得のできないルールに縛られ、周りに気を遣いすぎるくらい遣い、周りにどう思われるのかを気にしながら、自分を抑えて仕事をしていたけど
残念なくらいすぐ病気になる。
原因不明というか、診断は如何様にも。
自律神経失調症だの、うつ病だの。
メニエール病も。微熱が1年以上下がらないことも不眠症ももう数えきれないくらい。
身体がすぐエラーを起こしてしまう。
ストレスに強くなりたい!と様々なことにチャレンジしてみたが、勿論昔よりは強くなったと思う。けれど、根本の部分では結局自分のことは自分が一番よくわかっている。
確信しているのは、身体と心は繋がっているということ。影響しあっているということ。
そして、私の場合とにかく説明のつかない不思議な出来事に巻き込まれていく。
20代半ばで、いわばレールを完全に踏み外した人生に変化した。サイコロふって、人生歩いてるねとよく言われる。
それで自由業に転職した。
自分に納得する選択をできているうちは、身体も心も元気なのだ。
でも、周りや他人軸、会社に合わせるとすぐに身体がダウンする。
わたしの身体はわがままであり、正直だ。
自分軸を保ちつつ、会社でもうまくやれる器用な人はきっと大丈夫。バランスがいい。
私にはそれができない。割り切るということが本当に苦痛なのだ。
本心でそう思っていないのに、上辺で上手にやれる人をみるとすごいなぁと感心してしまう。
我慢すればするほど、身体がエラーをおこしていく。
媚びる人、会社の顔を上手に使い分けられる人、それはそれでそのひとの価値観と選択だからよいのだ。
ただ、自分のことは自分が一番よく知っている。自分のことは身体の方が正直で知っているのかもしれない。
そして、心は如何様にも変えられる。
変化は怖い。
でも、自然はいつも絶えず変化している。
身体も。心も。
身体は自分の心地よいこと、喜ぶことをちゃんと知っている。身体がエラーをおこすときは心と身体が繋がっていないときだ。意識的にしろ、無意識的にしろ。
たった一度きりの人生ならば、自分が納得して生きることほど大切なことはない。
何を選択するかも、自分次第。
わたしがこの難病になったのは自分の責任。
わたしの生きかた、考え方、生活習慣すべてがわたしの身体と心をつくっているわけで。
それがエラーを起こしてる。
それはなにかを変えなきゃいけないということ。
例えば、病院で治療する。
でも人間はそんなに簡単に変わらない。
外から変えたところで、すべてはバランスで成立している。無意識的な習慣が身体にとっては負荷がかかっているかもしれない。
我慢してることすら、気づいていないのかもしれない。
根本を理解し、治癒しなければまたきっと元に戻る時がくる。
何度でも再発するかもしれない。
だから、病気はチャンスなんだとおもう。
自分とこんなにむきあえて、自分が喜ぶこと心から望むことをちゃんとみつけられるように。
限りない命の存在を認識できるように。
あたりまえなんて、存在しない。
すべてのものは変化する。
だから、瞬間瞬間の選択が大切だ。
誰が何を言おうと、まったく同じ人間が存在しないように自分は自分でしかないし、自然の一部であり、すべては繋がっている。
だから感情がネガティヴに揺れるのだって、大切なことだし、受け入れていくことだ。
自分がどうしてネガティヴに捉えているのか根本と向き合うことだ。
生きてさえいれば、無限大の力が存在するんだから。人間は能力のうち10パーセントもつかってないんだという。
90パーセントもねむっているなんてもったいなさ過ぎる。そして、自分の才能に気がつかずに死んでいくだけじゃつまんないし、それをみつけられるのは自分しかいない。
お金がなくても、仕事がなくても、結婚していなくても、(いまのわたしか(笑))病気でも。
生かされているうちは、チャンスしかない。
ハッピーに自分が納得して生きられる方法は必ず存在する。だから、自分だけは自分のことを諦めない。絶対に。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。