カラダノコエをキク

iga腎症と境界型糖尿病、卵巣嚢腫も再発、そして只今ハイリスク妊婦になりました。波乱万丈だけど、逆境に負けずハッピーライフを過ごしたい!カラダのコエをきいて、未知なる領域を広げていきたいです。

沖縄のユタであるおばあに会ってきた 難病編 2

難病になってからの不思議な流れで、沖縄のユタであるおばあと会う日になった。


おばあからは、名前は明かしてはいけないが、おばあとならブログに書いてよいと言われたのでおばあとかかせていただこう。


入口にはいると、前回展示会で出会った女性が生理痛なのか腰を抑えて呻いている。


大丈夫かな、、。


おばあが咳をしている。

鋭い目の凛とした女性だった。


わたしと同居人との二人で行ったのだが、おばあがひとこと。



「病気の子の方、化粧おとしてきて!」

同居人は自分もいろいろアドバイスが欲しかったので


「あ、あの、わたしは?!」

と聞く。


「あんたは必要ない」


石鹸でゴシゴシ顔をあらう。血色とかみるんだろうか。。。


本番に強い私だが、無意識に緊張している。


正座をして二人で並んで座る。

おばあはちょっと待ってねといいながら、

いままでわたしたちが住んできた場所の紙をみながら、苦しそうにしている。


「あんたたちの情報量は多すぎる。

疲れるよ、これじゃ。」


そこから摩訶不思議なおばあとのセッションがはじまった。


「腎臓は怒りの臓器、喉にくるのは言いたいことが言えていない。。あんたは自分のことを置き去りにして、周りのことにエネルギーを使いすぎてる。自分の幼さにも怒っている。」


叱咤されたり、励まされたり、とにかく感情のジェットコースターのような体験だった。

長すぎてかけないので、印象的なとこだけまとめる。


おばあは私たちしか知りえない情報を知ることができるようだ。同居人が最近お父さんと畑をやっていることを言いあてたり、



私のことも見透かしてるようだった。


「あんたは何故ここにきたの?一体何しに来たの?

自分でみえてるでしょ。どちらもあなたの世界だ。」


ドキリとする。

子供の頃からのみえていた世界のこと。

エネルギーのコントロールがなかなかできないことを見透かされる。



「自分の軸を保ちなさい。光の中の闇も闇の中の光も。自分のみえてる世界に自信をもちなさい。」


おばあは真っ直ぐにいう。


「あんたの病気は治る。覚悟があるのか?

ことばに殺されてはいけない。」




おばあはわたしを治療しはじめた。

同居人におでこに手をあてるよう促し、治療がはじまる。



そういえば、私たちの前にきていた人たちも病気だときいた。おばあは病院で治療するように気持ちの面で前向きな覚悟をするように促したと言っていた気がする。



わたしは自分で治したい。治る気がする。

違う、治るんだ。絶対に。


途中何かが抜けていった。



「まだ学びが足りない。もっと経験しなさい。」


わたしはなんでここに来たのかわかった。


「いま、ここにきた理由がわかりました。

私は、カラダノコエをきくことにします。

おばあとの答え合わせをしたかったんだと思います」


おばあは頷き、2時間近くのセッションをしたのにもかかわらず、お金も受け取ってくれなかった。



「病人からはもらわない」


「あんたたちみたいなのが沖縄にはたくさんいるよ。あってみるといい。」



わたしは沖縄に行くことにした。

病気を自分で治したひとたちも身体の声をきけるひとたちもたくさんいるはずだ。


みんなの経験を知りたい。

いわゆる人間がもっている能力を通常は10パーセントも使っていないという。

私はそれ以上に能力を使っている人達に何度も遭遇してきた。

だから、信じられるのかもしれない。


そしてまた自分の中に眠る声が時々はっきりと教えてくれることを体感している。


おばあがいう。

「病気のときのほうがいろいろわかるだろ。

だけど、気をつけなさい。黒い服はあまり着ないほうがいい。香水もだめだよ」


それは過去に聞いたことがある。

お坊さんでも袈裟の色で色々決まっているんだとか。


自分自身のことをよく知らなきゃいけないからだろう。仮面をかぶって、周りにあわせていては自分のことがわからない。


そうでなければ、身体の声など聞こえるはずがない。自分で治しようがない。


匂いというのは人間の一番古い脳と直結してる感覚器だ。本能の象徴。

匂いを嗅ぎ分けなければならないのだろう。


わたしたちはきっとこの便利で合理的な社会に慣れすぎて、本来の感覚が鈍ってしまっているのだ。


社会のルールが必ずしも自分に当てはまるわけでもない。


私の兄は標高3000Mのところで暮らしている。

匂いや音で天気がわかる。どの動物がどの道を通ったかすぐにわかってしまう。


兄は特別なことではないという。

漁師が海をみるように、人間は環境の中で必要な能力を発達させることができるんだと思う。


自分の身体で何が起きているのか、何が負担だったのか、キチンと知る必要がある。

わたしは寛解ではなくて、根治したいのである。


だから、沖縄にも行ってみよう。体感しなきゃわからない。頭での理解だけじゃ、身体は動いてくれないのだ。だったら、三次元の世界に生まれていない。

肉体がある以上、身体に聞かなきゃわからない。今日も強くそう思った。