カラダノコエをキク

iga腎症と境界型糖尿病、卵巣嚢腫も再発、そして只今ハイリスク妊婦になりました。波乱万丈だけど、逆境に負けずハッピーライフを過ごしたい!カラダのコエをきいて、未知なる領域を広げていきたいです。

iga腎症 若い女優さんの言葉に感銘をうけたこと

ダンサーの仕事はストップしている。今日はお馴染みの女優さんと別の仕事をした。

入院をしていた話やiga腎症という難病になったことなど話す。


彼女はまだ20代で若く美しい。肌も綺麗でモチロンTVでも活躍している。表の世界でみれば、華やかで美しく、なんでも満たされているかのようにみえるかもしれない。


しかし、彼女が思いがけないことを言った。

幼少期から壮絶な環境で育ったこと。

周りが幸せそうに遊んでいても、自分は家族のために働いて一度は就職したこと。

彼女は22歳という若さで、あと何日で23歳になってしまうか数えているという。


自分が遊びたくても遊べなかった時期や、やりたいことができなかった時期を取り戻すためにも1日1日が本当に貴重で誰よりも濃厚に過ごしたいという想いが強いのだという。


どうでもいい話や愚痴を聞く時間が勿体無くて、家で自分のために本を読んだり映画を見る時間を優先しているという。

彼女の話をきいていると、地に足のついたミニマムな生活をしているのがわかった。


「寝不足したり、0時すぎてとか、遅い時間に寝ると次の日か辛いんです。頭いたかったり、ほんとに効率が悪くて。だから、少しでも早く良い睡眠をとって、良い自分でいたいと思うんです。肌も荒れるし、いいことはないから。」


やはり、美しく凛としているひとは生活も整っているんだなと正直におもった。

わたしは無理をしたり、ひとに合わせて、頑張りすぎて、結果身体の声も聞こえなくなった。


彼女は自分にとって必要なことが明確で、どんな環境であれ、自分に厳しく、進化し続けようとしている。とても感銘をうけた。



年齢じゃないなぁ。

生き様がカッコいいひとは何歳でもカッコいい。彼女のことはこれからも応援したいし、なんとかしてわたしもこの病たちを治癒せねば。



無理をしないって、簡単そうでむつかしい。

昭和の人間だからかしら?

スポ根時代の名残で頑張りすぎちゃうんだよな。



もっとミニマムに生きたいな。



iga腎症 身体のエラーはきっと何度でも起こる

腎生検は本当に散々だったんだけど、ずっと指名していた担当医が移動することになった。


「〇〇さんのこと(私のこと)は、はじめから担当して、腎生検もしているし、最後までみれないのは心残りだけど、ちゃんとつなぐからね」


と先生。色々あったけど、いい先生なのかもしれない、、、。

とことん質問しまくりました。

都内大病院の腎臓内科の先生の見解。

とりあえず、忘れないように記しておく。


◎扁桃腺摘出とステロイドパルスの効果は、治癒ではなく、寛解という。いま出ている症状はおさまったという状態。早く治療をはじめるほど効果が出やすい。


◎ただし、扁桃腺が病巣じゃない場合もある。

歯や上咽頭が原因ともいわれることもある。


◎この治療は一年を目安に寛解を目指す。

それで終わらない人もいる。


◎副作用はあるので、感染症、骨粗鬆症、白内障、胃潰瘍など、そのための薬も毎日飲むことになる。


◎わたしの場合、糖尿病もあるのでインスリン注射を覚えてうつこと。血糖値が上がってしまうので。


◎ごく稀に一割くらいのひとは自然治癒することもある。


◎地方と都会では病院の腎臓内科があるかどうかでも大きく治療が違い、遅れている場所もあるし、腎生検をなかなかしないところも多い。


◎20年前、10年前と変化して、いまは早期治療が有効であるとされる。


◎iga腎症の状態で妊娠は危ない。


◎食事療法は塩分控えめ。タンパク控えめとはいわれるけど、あなたの場合貧血がひどいからタンパクはある程度とるべき。


◎ダンスは腎生検のあとはだめだけど、様子みながら脱水症状起こらない程度のものは大丈夫。無理はだめ。


◎わたしのステージは予後不良群。このままいけば腎機能がどんどんおちていくはず。


とまあ、ざっとこんなかんじ。

とりあえず全て知っている情報だったので、おさらいした感じかな。



改めて聞いても変わることはないが、わたしはその1割の自然治癒にむかって努力してみよう。


でも、自分を信じる。自分の治癒力をあげるために最大限の努力をする。


だから、カラダノコエをキク。


いろんなひとの意見をききながら、受け入れながら。


でもカラダのコエをキク。


このブログを書こうと思ったのは、自分への約束をしたかったから。



少しずつ、身体の声がきこえるようになった。

タンパク尿も潜血尿も減ってきている。


体の状態も、心の状態もニュートラルに近づいている。


まだまだこれから。

こんなチャンスをもらったんだもの。


もらったチャンスを生かすも殺すも自分次第。

ネガティヴもポジティブも大切な感情。


周りはいろいろ言ってくる。誰かと比べて落ち込むかもしれない。でも、他人は好き勝手いうもんだ。自分だって他の人のことを100パーセント理解できない。


自分がどうしたいか、何を信じたいかだ。

それを納得して選んでいるのははたして本当に自分の本心?


誰かに言われたから?

みんながそうしてるから?

えらいひとがそういってるから?


わたしはわたしでしかない、もっといえばわたしはこの宇宙の一部でしかない。


こんなにどうしよもなくて、エラー起こしまくりで、社会のレールにのっていなくても。


愛すべき自然の一部だ。

だれかが決めたルールは、いつだっていつの時代だって変化していく。そのときの普通はあとで普通じゃないかもしれない。


だから、自分にとっての真実が真実だ。

答えは身体が知っている。

いろんなフィルターがかかって、自分の真実が見えにくくなっているだけだ。


身体はそれを教えてくれている。

気が付いてほしくて、エラーを起こしている。

無視して、他人に依存して、任せたところで自分が変わらなきゃ何も変わらない。


でなきゃ、身体のエラーはきっと何度でも起こるだろう。


だから毎日自分と対話する。

iga腎症って、とても不思議で面白い病気だ。

まだまだ未知だけど、私に大切なことをたくさん教えてくれている気がする。


ありがたいよ。

難病になってからの、周りの干渉と自分のあり方

難病診断されてからというものの、、周りの干渉がすごい。ちなみにわたしは37歳、結婚しておらず、子供もいない。おまけにダンサーの仕事はできなさそう。今後どうするんだ!ということで


心配されるのはわかる。

それにしても、考えさせられることが多い。友人からきたメール。


「一刻も早く3ヶ月くらい実家にかえって、なにもしないで休んだ方がいい。透析になっても知らないよ。薬漬けになったら人生終わりだよ。」


ありがたいけど、うーん。私の為を思ってくれたに違いない。が、なんだかドヨーンとしたのも正直なきもち。人生終わりかどうかくらい、自分で決めます。


この友人は大手の有名病院相手と仕事をしているので病院事情にもとても詳しい。裏情報もたくさん教えてくれる。


しかし、病気になった本人はそんな簡単にぽんぽんいかないこともあるのだ。なんせ、自覚症状が少ないうえに徐々に進行していくわけで。いままでの付き合いや、自分の心の整理にも時間がかかる。


こんな年齢で仕事もなくなれば、たとえ難病申請したとこでどうやってお金を稼いでいくのだ。治療費はどうするんだ。資本主義に生きてる以上、お金の問題は切り離せない。



お金持ちの資産家なら、そんな心配もあるまい。いまや70代半ばになった年老いた両親にこれ以上心配かけるのも心許ない。家族で共倒れになったらそれこそ悪夢だ。


そして、結婚していようが相手に何が起こるのかなんてわからないわけで関係性は絶対でもない。



それに私のボーイフレンドは外人だ。まったくもって、逆に病気の説明するだけでも全然伝わらず、腰が折れそうなのだ。おまけにこのiga腎症。アメリカと日本で治療方針が違うし、話が余計ややこしくなる。


人間が一人で生まれて、一人で死んでいくように、病気になったらまずは一人で受け止めねばなるまい。誰も代わりにはなってくれない。

誰も本当の気持ちを100%理解することはできないだろう。



とりあえず、一人でまずはぶれない自分軸を保ち続けなければ周りに丸め込まれてしまう。



両親も親戚も

「はやく田舎に帰ってこい。」

「誰にも会ってはいけない!すぐ治療しろ!」

ま、そんな感じ。


友人も

「ちょっとやすんだら治るんでしょう?!

がんばっていま、休憩して!」


そうなんだよなぁ。休んで治るんだったら本当に儲けものだ。自分の病気のことは自分で受け止めて色んな角度から頑張るより仕方ない。

何故、難病と呼ばれるのか?!


確実な治療法が確率されていないからなわけで、原因不明なことがおおいわけで、理解してもらうのもなかなか、むつかしい。


病気になったことがあるひとには、多少きもちなり状況を想像してもらえるかもしれないが、健康なひとにはなかなか理解してもらえないことがたくさんある。


できれば、私は少しでも自立したまま、自分のことは自分で頑張りたいのだ。それに長い目でみても自分が納得した選択をしたい。



例えば、医者がどうこういう。母親なりパートナーなりが立ち会う。

「お医者さんがこういってたから、こうしなさい!」


など干渉されたらたまらない。

しかし、我が家にはそういう節があり度々、喧嘩になる。

わたしのことはわたしが決める。

周りがいうことに振り回されて、決めたことに結果がついてこなかったときに後悔しても遅い。


周りのせい、環境のせいにしたとこで身体の持ち主はあくまで自分なのだ。

この身体と生まれてから1秒たりとも離れず共にいるのはこの自分以外いない。

だから、自分で決める。自分が納得した方法を自分で決めて、自分で受け止めて、自分で治していくんだ。



そんな私を本当に理解して、愛してくれているならば、私を尊重し、見守っていてほしい。



私がこれから先誰か大切なひとが、とてつもなく大変な病気になったとしても、本人の意思をきき、応援し、支えて、その人が心から納得して求める人生を送れるような支えを全身全霊で行うつもり。



もちろん、アドバイスは嬉しい。

それにしても言い方は本当に難しい。相手の感受性によっては傷つけてしまうことがたくさんある。それでも仕方ない。

色んな人間がいて、いろんな価値観が存在するんだから。



自分もたくさん傷ついた。

でも、周りはわからないなりにその人の価値観で応援してくれているんだと思う。

それはありがたい。

でもね、尊重することは大切だよ。


周りに流されて、決めてきたことがあるなら尚更。病気になった身体は、心地よいなりたい自分になりたがってるんだと思うんだ。