普通ってなに?母との喧嘩
母がきた。もちろん、心配してのこと。
とてもありがたい。
なんていったって、iga腎症と糖尿病の境界型にいる。卵巣嚢腫もポリープもある。
結婚もしていないし、いまの仕事は続けられなさそうだし。東京で暮らすことも迷っている。
心配かけて、申し訳ない。
でも、前向きでいるつもりだった。
身体は正直だし、わたしの身体で起きた以上わたしの責任だ。
これをプラスの力に変えたいとおもっているけど。
母は心配の度がすぎて、過干渉してくる。
「普通は、、」
「一般的には、、」
わたしはこの言葉が大嫌いだ。
普通ってなんだろう?!
一般的って。
それは誰が決めたことで、ちゃんと自分で落とし込んで考えて選んだこと?!
みんながいってるから正しいは、わたしにとっては正しくない。
人それぞれだ。
価値も。
たとえ、病気だっていろんな治し方がある。
どれに価値をおいて、日々の生活をどれだけ充実して過ごすか、納得して治療できるかのほうが私は大事だと思っている。
例えばそれがいわゆる、一般的じゃなかろうと、その人が納得して決めたことならそちらの方が大切なこと。
自分軸で生きること。
身体はいつもそれを教えてくれる。
そして、自分で調べてちゃんと考えること。
感じること。それがきっと真実だ。
他人の真実と自分の真実は違う。
それがあたりまえで、自然なことだ。
自然をみれば、そうなっている。
いろんな人がいていいし、いろんな価値観が存在する。
病気だって、個性と同じ。
自分のために起きていることなんだから、
普通や一般的なことも知っておくに越したことはないけど、まずは自分で自分を知ることが
大切なんじゃないのかな。
周りに振り回されず、私の体は私と対話したいはずだ。
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