カラダノコエをキク

iga腎症と境界型糖尿病、卵巣嚢腫も再発、そして只今ハイリスク妊婦になりました。波乱万丈だけど、逆境に負けずハッピーライフを過ごしたい!カラダのコエをきいて、未知なる領域を広げていきたいです。

難病を抱えて生きること 本当に自由で愛がある人は、よりその人を自由にする

今日もまたあの究極に痛いBスポット治療に行く。終わってから2日ほどは、涙と鼻水と痰でボロボロである。


先生は、次回までに変形させた綿棒を作ってくれるといっていたが本当だろうか?それがないと意味がない。


毎日誰かしらがメールをくれる。


「体調はどうですか?」

「難病なんですか?!」

「知り合いに難病の人がいて、、、」

「もう、治ったんですか?」


人に会うと


「これからどうするんですか?」

「治療法は?」


が一番多い。初めの頃、返答に困っていた。

なんだか「難病」 ということばに自分自身がビビっていたのである。


元気ではないが、元気でないこともない。

いかんせん、ジワジワ進行する病気なのだ。


内側では毎日破壊が起きているわけで、タンパクと潜血は尿から漏れている。腎臓は元には戻らないと言われている。悲観的に捉えれば、毎日死に向かっているわけだ。


貧血は酷いので3日に一度くらいうっかり倒れる。しかし、精神は病んでいない。むしろ、元気だと思う。元気か?と聞かれると、実に答えるのがむつかしい。



難病って響きになんだか如何にも難しい感じがして恐縮していたが、実際難病申請というものがあり、補助金までサポートしてもらえるありがたい制度があった。



申請所では、実に軽やかに面倒くさそうに

「はい!なんの難病ですかー?」


とあたりまえのようにあつかっていた。きっと多いんだろうな。

難しい病であることは確かだ。でも時代の進化とともに難病じゃなくなるかもしれないし、それ自体変化するかもしれないし、突然治る人もいるわけだ。



自分自身が病気を診断されてから、色んな難病の方々にお会いした。

みるからに大変そうな疾患の人や、一見元気そうに見える人。



誰にも言ってないという人、カラッとして世間的に公表している人、仕事もできないという人。精神的にも躁鬱を繰り返している人。全く気にしてない人。



ひとくちにいっても症状も進行具合も精神状態も違う。

命に関わるものも、とりあえず大丈夫なものもある。その人の精神状態で捉え方も違うだろう。



私は子供の頃から難聴で左耳が聞こえなかった。おまけに喘息と肺炎にもなりやすくて、身体がとにかく弱かったので小学校も半分くらいしか行けなかった。体育の時間はよくボーッとみんなの様子をみていたのである。羨ましかった。雨が降れば、熱が出るし、イベントの前は必ず風邪をひく。ずっと病院と薬漬けの毎日だった。



どうして自分だけが!という気持ちがいつもあった。でも、周りにはもっとハンディギャップがある人はたくさんいたし、それでもむしろ他の人たちよりもキラキラしている素敵な人たちが沢山いた。死期が近くても、身体が動かなくても、踊ったり歌ったりするひとたちに沢山出逢った。



出逢いは人を変えると思う。本当にそう思う。



最近、検査技師の友達にいわれたこと。


「自分だけが特別何て思わないことですよ。難病なんて沢山います。ごまんとそういう人に毎日会います。そうでなくても、深刻な病気の人に毎日あっている。透析の人のお世話もしてる。



でもね、すごいお世話してるから、わかるんです。それでも生き生きしてる人とね、お先真っ暗みたいな人にはっきり別れるんですよ。楽しい話をしてくれる人とね、文句や悪口ばかり言ってる人にはっきりわかれるんです。



私だって、腰に異常がみつかって、いつ歩けなくなってもおかしくないと言われています。一時期は必死に病院を駆け巡りましたけどね。治療法がないから諦めて、今を必死に生きてるし。できることをやるだけ。



みんななにかしらあるんですよ。だから、そんな凄いことだと思わないで、いかに日常をよりよく生きることじゃないですかね。いつ治るかなんて誰にもわからない。」



そう言われたときに、なるほどなぁと思った。

自分の世界を中心に、自分のモノサシだけで物事を測ると色んなことが狭くなる。



世界は広くて、もっといえば宇宙は広くて、色んな考え方があり、受け入れ方があり、如何様にも変化するものだ。



私にとってアドバイザーのような存在でもあり、いつも元気をもらってる50代の女性Sさんがいる。彼女は離婚し、子供もひとりで育て上げ、元夫の鬱病のケアもしつつ、いつも素敵なミニワンピースにショートへアが似合う女性だ。



「誰がなんと言おうと、自分が納得していれば周りはいつか諦めてくれるわ。私は50代だろうと、ミニワンピースが好きだから着るし、サッカーもやるし、赤だって大好きな色!」



と軽やかに生きてるイメージでいつもキラキラしているミセスだった。どうしたらこんなに前向きでいられるんだろうと毎回会う度に思った。わたしの病気を聞きつけて、ミセスが会いに来てくれて最後にこう言った。



「私ね、実はB型肝炎ウィルスのキャリアなの。いつ発症するかわかんないんだけどね、何十年もたっていてね、ずっと抱えながら生きてたんだけどね、最近薬が開発されて一般人にも使用可能になったのよ。副作用もなくて、すごいの!やっとその時期がきたわ」



驚いた。こんなに軽やかにみえるミセスにも色々あったんだな。人なんて表向きだけじゃ、わからないことだらけだ。



そして、こないだ会った女優さんにも言われたこと。



「私ね、難病で20歳まで生きられないと言われていたの。だからいまも毎月通院してるんだけどね。


母に告知されてから、それなら後悔しないようにやりたいこと全部やって死のうと思ったの。


だから、女優のオーディションもうけまくった。死んだら失敗した恥なんて関係なくなるし、いいや!好きなように生きる!と思ってね。


でも、今年30歳。治ったわけじゃないし、いつなにがあるかわかんないけどね、後悔はない。だから、あなたも大丈夫。素敵な毎日をね。」



私よりも年下なのに、なんとも頼り甲斐のある人である。生き様が違う。



きっとわたしはこういう人たちと出逢う度に元気をもらい、なんだかこう言葉だけでは言い表せないような”信念の力”を身体で体感したんだと思う。



だから、最近は


「体調どうですか?」

「難病なんですか?」


と聞かれても軽やかに答えるようにしている。


未来のことはわかんないけど、とりあえず元気です!難病だけど、絶対に治します!



そこに行き着いた。

だから、この病気を抱えながら、日常を自分なりに納得して生きていく軌跡をこのブログで残していく。いつも考える。難病というが、本当に治ることは難しいのか?と自分自身に問いながら生きている。身体よ、教えてくれ。



最近とくに、わたしの尊敬する師匠がいっていたことを思い出す。



「自分の自由を制限しようとしてくる人には気をつけなきゃいけない。その人は自分が自由になれないから、抑えつけてくるだけだ。本当に自由で愛がある人は、よりその人を自由にする。」



これって昔は、え?じゃあ子供とかどうなるの?とか世の中のルールは?なんて思っていたけど、そういうことじゃないんだなと最近わかった。



言葉は面白い。

心の成長と身体の体験と共に、同じ言葉が全く違う意味で響いてくる。



世の中はいい!わるい!や二元論で闘い合うことが多いけれど、いろんな人がいていいんじゃないのかな。みんなその人なりの人生の主役なわけだ。



もし誰かに否定されたとしても、それはその人の考え方。それが全てじゃない。それを必要とする人もいるかもしれない。

世の中の普通が普通であるとは限らない。

世界は広い。




必要な情報だと思う人はそれを得ればいいし、必要じゃない、合わないとおもうなら、取り入れなければいい。



自分がなにを信じて、どう生きたいかを選択するだけ。周りと比べても何も解決しない。

だってみんな違うんだもの。

特別な人なんていないし、みんなが特別であるともいえる。世の中の矛盾の真ん中に真実がある。



その人なりの物語が存在している。

それを周りがどうのこうのいったところで、真実はその人しかわからない。



自分が信じたいもの、心地よく元気をもらえるものが私にとっての真実だ。

きっとそれも変化するかもしれないけれど、

だから人生面白いんじゃないのかなぁ。



そんなわけで今日もカラダのコエをきいている。ちなみにBスポット治療。先生は曲げた綿棒は用意してくれなかった。忘れていた。



まあ、いいか。先生が口先だけなのか、ちゃんと行動も伴っている人なのか、見極めが必要そうだ。にしても、今日も痛かった。。



今日のごはん


●オクラとブロッコリーのターメタリック炒め

●人参と蜂蜜、クミンのドレッシング

●ちこりときゅうりとトマトのサラダ

●全粒粉とライ麦のパン


iga腎症だから、起業してみる。 タンパク尿によくなかったこと。


最近の朝ごはんは大体こんな感じ。

殆ど、野菜ばっかり。小松菜とバナナ、亜麻仁油、えごまをミキサーしたジュース。


亜麻仁油とえごまはiga腎症にもよいとされる、オメガ3.オメガ6.オメガ9がはいっている。


糖尿病もあるので、まず野菜食べて、ジュースのんで、最後にごはんとか、果物という食べ方にも気をつける。


検尿検査は毎朝起きたてに、ウリエースで。

体温もはかる。ここ3ヶ月で36.5分が平熱になった。


ここ最近の

タンパク尿は±

潜血が+1〜2

だった。


しかーし、、、また昨夜やっちまったのである。非常に反省。

いま殆ど失業中なので流石に働かねばと打ち合わせにいく。


久々の都会のランチ。



何故ハンバーガーを頼んだんだ、自分。

脂ギッシュあんど、塩分高っ。


ポテトフライ、、、。

結局チマチマ食べてしまう。やっぱ後味悪い。ずっと喉が乾く。前は平気で食べていたんだけどなぁ。体感が変わったらしい。




仕事のこと。

いろいろ考えあぐねた結果、ダンサーはしばらくできないし、iga腎症や糖尿病で自己治癒力を高めるためには、ストレスフルな仕事はしたくない。つまり、自分のペースで働きたい。資金は全くないが(本当に)、起業することにした。



起業の相談にでかけた夜。

「1杯くらいなら飲めるでしょう。」



ダメだ、この誘惑。そうですね、なんて飲んでしまったバカな私。禁酒頑張っていたのに、、



その後、焼き鳥、ナポリタン。

誘惑に流されてしまったよ。

トホホ。





このこんもり具合。

周りはみんな健康だしね。

自分で自分を律するしかないのよ。

いままでとは違うのよ。

ついつい、昔仲間と合うと流されてしまう自分がいたのだった。

しかも寝たのは1時。

11時台守っていたのにー。


反省。


翌日朝。


タンパク尿 +2

潜血尿 +2


最近の中で一番悪い。

身体は実に正直である。


にしてもタンパク尿一気に増えすぎだろー。

凄いなぁ。


起業するにあたって、ペースを守りながらやんないとなぁ。そこが課題。



国籍も年齢も職業も健康状態も全て超えた、

身体と心が元気になるcafe&event bar やります。っていっても、店主がiga腎症なんでね、タバコは外で吸ってください。アデノイド刺激したくないんでね。あくまでこころもからだも「健康」になることがキーワード。



だって、いまのわたしにできることってそれが一番繋がっている気がする。人が元気になると自分も元気になるし。

なんかふっと日常を忘れて、摩訶不思議な世界にきてみるのもいいんじゃないかなってね。




ま、私自身お酒は飲まないようにしたいし、食事制限だらけだけど。心が喜ぶことしたいしね。そういう人も楽しめるメニューも作りたいし。不思議話もたくさん話せるし。

野菜は無農薬の新鮮パワー野菜を岐阜と長野から送ってもらう。



我が家のフランス人たちにも手伝ってもらおう。日本語できないけどね。まあ、言葉の壁は心で乗り越えられるでしょ。

場所は東京新宿から5分の中野に決まった。

9月にはオープンする。

パフォーマンスがみれるように改造しなきゃだ。やること多いけど、ストレスにならないペースを守って楽しもう。



いやー、それにしても反省。

自分を律する。楽しいとすぐオープンマインドになりすぎる自分の癖を発見したわ。

心が折れそうになった人へ

心が折れそうになったら、思い出す。

自分のことを信じてあげられるのは自分しかいないということ。



今日はこれを読んでくれている人に向けてかいてみる。この目に見えない電波を通じて、出逢っているということはとても不思議なつながりだ。だれだかわかんないけど、伝えたいとおもったから書いておく。



とても単純な行為だが、選ぶということにはとても大きなエネルギーが働いている。

例えばどの情報をとりいれるかということも無意識に身体と心は影響を受けている。



人間のもつ感情やイメージには想像以上にとてつもないエネルギーがある。



だからこそ、気をつけなきゃいけない。

自分が無意識で行う行為や想いや言葉や癖は、いつか現象として起こる。



病気になったひとなら、尚更わかるはず。

真正面から振り返れば、どこかにいまの自分を形作る片鱗が落ちているはず。



病気になりたいということではない。

心と身体との間にズレが生じていたはずだ。


みたくない自分の感情に出会う時、反発した気持ちをもつだろう。わたしはそうだった。



身体と心は常に影響しあっている。

そこから目を背けて、他人に自分を預けてはいけない。極度な依存は破滅に向かう。



自分軸で生きているか。

エネルギーは磁石と同じで同じ性質のものを引き寄せる。



無理してポジティブでいる必要はない。

心が折れそうな自分がいたら、それはとても大切な感情だ。そんな繊細な自分を抱きしめる。

頑張る必要もない。



そして同時に自分とちゃんと向き合える時期がきたことは、いつの日か重大な転機だったことに気づく。



今よりもっと進化した、新しい自分に出逢える転機だ。




情報が氾濫して、何を信じていいのかわからなくなったら、一度情報から離れてみる。



答えはいつも自分の中にある。

自分が本当に求めている人生はなんなのか。

心と身体が心地よいことはなんなのか。



自分の心がすぐに素直に開かなくとも、なんだか自分のもっている可能性を広げてくれる感覚を与えてくれるもの。


そんな情報をどんどんとりいれていく。



惹かれるもの、自由を感じていけるもの。

信じたいと思えるもの。



病気の治療法にしろ、仕事にしろ、恋愛にしろ、納得できないものや自分を窮屈にしていくものはいづれバランスを崩す。



わたしたちは自由に表現するために肉体も精神も与えられている。

自分で自分を縛りつけることも、自由に選ぶこともできる。



恐れに取り込まれてはいけない。

自分のことは自分が信じること。



誰が何と言おうとも、全く同じ人間はひとりとしていない。



だいじょうぶ。

信じる心が世界をつくる。今日はダメでもあしたはまた、新しい自分に逢える。



いまは心が折れそうでも、必ず這い上がれる。

思っているよりもずっと自分は可能性に満ちていて、それをみつけてほしいと願っている。



だから、ぜったいに大丈夫。

自分を諦めないで。



いましか体験できない特別な感情や出逢いを大切に。



今日の自分の積み重ねが未来の自分をつくっている。




偶然はない。

すべては必然であり、いつかこれが大きな転機になる。

いつかいまこの時に、感謝するときがくる。





だから、一緒に頑張ろ。

わたしからエネルギーを送ります。