カラダノコエをキク

iga腎症と境界型糖尿病、卵巣嚢腫も再発、そして只今ハイリスク妊婦になりました。波乱万丈だけど、逆境に負けずハッピーライフを過ごしたい!カラダのコエをきいて、未知なる領域を広げていきたいです。

身体も心もリセットの時期 手放していくこと

先週の朝起きたら、突然強烈な頭痛と眩暈、吐き気と痺れに襲われて、救急車で搬送された。



たまたま、幼馴染みが家にいたから助かった。

言葉もしゃべれず、救急車のなかでこうやって突然人は死ぬのかもしれないなと思った。



いま死んだら、iga腎症とか難病とかそういうことよりも残念だなぁと思いながら、ぼんやり人生を振り返った。



助かったからよかったんだけども、原因はイマイチよくわからず耳石が三半規管にはいったということで落ち着いた。



今年何回CTやらMRIやら受けてるんだろ。放射線はもうやだなぁ。



9日後に舞台を控えていて、焦ったけど家族や周りに迷惑をかけながらなんとか回復。

舞台もなんとかこなした。

みんなが声を揃えていう。



”休むこと”



この休むことが何よりも苦手な自分。

常に動いている自分。

休むのが下手くそすぎる。



病気になってからは気をつけてるつもり。

でも、つもりなんだろう。



生き急いでしまう性分なんだな。

死に近い体験をよくするから、時間がもったいないと思ってしまう。



季節が移り変わるように、もうこの時間は今だけなんだという感覚が強烈に強くて、噛み締めたくて仕方がない。



シャーマンたちによると

いまは「本来の自分に戻る時期」

らしい。



嘘をついて演じていた自分や

妥協していたことや、我慢していたこと。

いろんなことを手放す時期。



昨年の6月の夏至付近に起こった出来事が象徴的で、本来の本当の自分が求める場所へ変化していく時期。



それは出会う人もそうだし、働く場所や、感覚もそうなのかもしれない。

昨年の6月夏至付近はちょうどiga腎症の腎生検で入院していたな。



自然の場所へいきたい。

循環する生活、循環する人間関係、好きなものに囲まれて、好きなことで生活したい。



それがわたしの求めていたこと。

必要のないものは、手放していかなければきっとそのスペースは生まれない。



わたしにとって誰が必要なのか、

何が必要なのか。

そんなことが明確になる時期だった。



思わぬ、救急車事件で血液検査をする。

クレアチンは安定している。

腎機能はまずまず。

結果はまあまあ。

耳鼻科に通って、今日は目眩の完治の診断をいただく。扁桃腺摘出の手術のこともついでに聞く。



耳鼻科の先生はいう。

「扁桃腺をとるのは簡単ですよ。わたしはそのスペシャリストです。危ないのは出血は だけです。

ただ、腎臓との関係はあまりわたしたちにはわかりません。だから、ご本人の意思です」



そうだよね。


昨年の8〜9月は確かにタンパク尿も潜血尿も確実によくなっていたはず。

まど、やれることやりきってない。

このまま全身麻酔の扁桃腺摘出は納得できないなぁ。扁桃腺摘出はお断りした。



血液検査、尿検査だけは毎月しておきたい。

T病院の先生にもどるべきか、前の病院で検査だけするか。

考えつつ。



自分に必要なもの。

生き方がみえてきたから、もう一度チャレンジしよう。

休みながら、自分の人生を自由に彩っていくこと。循環する生活。




これを読んでくれている人もきっと本質が近い人もいるんだろうな。

きっといまはそういう時期。

本来の自分に戻る時期。

本質の近い人たちが集まる時期。



いままで平気だったのに急に合わなくなってしまった人や、場所もあるかもしれない。病気のことも、どうしていいかわかんなくて心身共にグシャグシャになることもあったかもしれない。



でもなんとなく、自分のなかで求めていることやこれじゃない、これだって思うことが明確になるようなことが起きてくるんじゃないかなという気がする。



わたしはそうだった。本当に精神のジェットコースターは相変わらずあったけど。

しんどかったなーーー。



だけど、本当のわたしが求めるものは、はっきりした。あ、この人はわたしに必要だとか。

この先生はなんか違う!とか。こんなに辛い時、そばにいてくれるのはこの人なんだとか。



だからこそ、すぐそばにあるものこそ本当に大切で、見逃しちゃいけない。甘えているだけじゃいけない。感謝の気持ちだって、伝えておかなきゃ本当、いつ死ぬかわかんない。

今回はそんなことを思った。



そして自分自身を大切にしなきゃ。

自分が幸せじゃなきゃ、周りも幸せにできない。病気を治すことは、自分を深く知ること。

そしていつか、誰かの力になる。



だから、もう一度チャレンジしたいとおもう。