難病になってからの、周りの干渉と自分のあり方
難病診断されてからというものの、、周りの干渉がすごい。ちなみにわたしは37歳、結婚しておらず、子供もいない。おまけにダンサーの仕事はできなさそう。今後どうするんだ!ということで
心配されるのはわかる。
それにしても、考えさせられることが多い。友人からきたメール。
「一刻も早く3ヶ月くらい実家にかえって、なにもしないで休んだ方がいい。透析になっても知らないよ。薬漬けになったら人生終わりだよ。」
ありがたいけど、うーん。私の為を思ってくれたに違いない。が、なんだかドヨーンとしたのも正直なきもち。人生終わりかどうかくらい、自分で決めます。
この友人は大手の有名病院相手と仕事をしているので病院事情にもとても詳しい。裏情報もたくさん教えてくれる。
しかし、病気になった本人はそんな簡単にぽんぽんいかないこともあるのだ。なんせ、自覚症状が少ないうえに徐々に進行していくわけで。いままでの付き合いや、自分の心の整理にも時間がかかる。
こんな年齢で仕事もなくなれば、たとえ難病申請したとこでどうやってお金を稼いでいくのだ。治療費はどうするんだ。資本主義に生きてる以上、お金の問題は切り離せない。
お金持ちの資産家なら、そんな心配もあるまい。いまや70代半ばになった年老いた両親にこれ以上心配かけるのも心許ない。家族で共倒れになったらそれこそ悪夢だ。
そして、結婚していようが相手に何が起こるのかなんてわからないわけで関係性は絶対でもない。
それに私のボーイフレンドは外人だ。まったくもって、逆に病気の説明するだけでも全然伝わらず、腰が折れそうなのだ。おまけにこのiga腎症。アメリカと日本で治療方針が違うし、話が余計ややこしくなる。
人間が一人で生まれて、一人で死んでいくように、病気になったらまずは一人で受け止めねばなるまい。誰も代わりにはなってくれない。
誰も本当の気持ちを100%理解することはできないだろう。
とりあえず、一人でまずはぶれない自分軸を保ち続けなければ周りに丸め込まれてしまう。
両親も親戚も
「はやく田舎に帰ってこい。」
「誰にも会ってはいけない!すぐ治療しろ!」
ま、そんな感じ。
友人も
「ちょっとやすんだら治るんでしょう?!
がんばっていま、休憩して!」
そうなんだよなぁ。休んで治るんだったら本当に儲けものだ。自分の病気のことは自分で受け止めて色んな角度から頑張るより仕方ない。
何故、難病と呼ばれるのか?!
確実な治療法が確率されていないからなわけで、原因不明なことがおおいわけで、理解してもらうのもなかなか、むつかしい。
病気になったことがあるひとには、多少きもちなり状況を想像してもらえるかもしれないが、健康なひとにはなかなか理解してもらえないことがたくさんある。
できれば、私は少しでも自立したまま、自分のことは自分で頑張りたいのだ。それに長い目でみても自分が納得した選択をしたい。
例えば、医者がどうこういう。母親なりパートナーなりが立ち会う。
「お医者さんがこういってたから、こうしなさい!」
など干渉されたらたまらない。
しかし、我が家にはそういう節があり度々、喧嘩になる。
わたしのことはわたしが決める。
周りがいうことに振り回されて、決めたことに結果がついてこなかったときに後悔しても遅い。
周りのせい、環境のせいにしたとこで身体の持ち主はあくまで自分なのだ。
この身体と生まれてから1秒たりとも離れず共にいるのはこの自分以外いない。
だから、自分で決める。自分が納得した方法を自分で決めて、自分で受け止めて、自分で治していくんだ。
そんな私を本当に理解して、愛してくれているならば、私を尊重し、見守っていてほしい。
私がこれから先誰か大切なひとが、とてつもなく大変な病気になったとしても、本人の意思をきき、応援し、支えて、その人が心から納得して求める人生を送れるような支えを全身全霊で行うつもり。
もちろん、アドバイスは嬉しい。
それにしても言い方は本当に難しい。相手の感受性によっては傷つけてしまうことがたくさんある。それでも仕方ない。
色んな人間がいて、いろんな価値観が存在するんだから。
自分もたくさん傷ついた。
でも、周りはわからないなりにその人の価値観で応援してくれているんだと思う。
それはありがたい。
でもね、尊重することは大切だよ。
周りに流されて、決めてきたことがあるなら尚更。病気になった身体は、心地よいなりたい自分になりたがってるんだと思うんだ。
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